トリプルアクセルを見事に決め、観客を魅了した紀平梨花。第二の浅田真央として注目を集めていますね。今回は幼少期から浅田真央に憧れていたという紀平梨花に注目してみました。
女子史上初めて、フリーで6種類の3回転を決めたり、トリプルアクセル+3回転トウループを成功させたり。幼少期から運動神経抜群なのは類まれな運動能力を持っているからだとの声もありますが、それだけではないようなのです。
幼稚園でのヨコミネ式教育法(動画)をはじめ、ご両親がスケートの為に長距離の送迎から自宅売却、仕事も転職したエピソードなどを、詳しく調べてみました。
目次
紀平梨花!幼少期に通っていた広田幼稚園のヨコミネ教育法が運動能力を育てた?(動画)
紀平梨花が幼少期に通っていた幼稚園は『広田幼稚園』。17年度からからヨコミネ式教育法を導入し、每日様々なカリキュラムを行っているようです。
広田幼稚園では、全員が14メートルの逆立ち歩きが出来るようになって卒園するというのが目標なのだそうです。これは、いろんな筋肉を使うため、幼稚園から土台を作っておけばその後の自信につながるという考えから。
また、ほとんどの園児が小学生でも難しい9段の跳び箱も軽々飛べるようですね。そんなすごい画像を見つけたので見てみて下さい。
広田幼稚園の子供達、凄いですよね。こんなことが全員できるようになるなんて。入園希望者が増えるかもしれませんね。

引用元https://www.hirota-yochien.com
紀平梨花は幼少期のヨコミネ式で運動会ダントツ優勝
紀平梨花が幼少期に運動能力を開花させたのは、通っていた幼稚園が取り入れていたヨコミネ式教育法。個人個人の能力を引き出して伸ばすというのがヨコミネ式教育法です。
miho
紀平梨花はその中でもトップレベルに周りの郡を抜いていたようです。

Twitterより
miho
紀平梨花は幼少期から運動神経抜群!?スケートとの出会いは?
紀平梨花は生まれ持って運動神経が抜群だったのでしょうか?調べてみると実はそれだけではないエピソードもありましたよ。
紀平梨花は2002年7月21日兵庫県西宮市。父、紀平勝己、母、紀平実香の次女として育ちました。4つ上の姉、紀平萌絵とは小さい頃から仲が良かったようですね。そんな姉とともに出かけた遊びがスケート人生の今後に大きく関わっていったようです。
紀平梨花、幼少期に根性を見せたエピソード
スケートとの出会いは3歳の時。母と姉と、『冬の遊び場』として初めて神戸のスケートリンクへと行ったようです。習い事を始めるという感覚は母にも紀平梨花本人にもなかったようですね。
ここでの紀平梨花は決して運動神経抜群と言えるような感じではなかったようですよ。どちらかというと姉の方がスイスイ滑れていたようです。でも、この頃の歳の差4つは大きいですもんね。『3歳と7歳』ですから。姉の方がスイスイ滑れるのは当然かもしれません。
ただ、ここでは『負けず嫌い』を発揮。立っては転けて立っては転けてを繰り返し、立てるようになるまで何度も何度も頑張っていたようです。閉館ギリギリになり、母や姉から『帰ろう!』と声を掛けられても帰ろうとせず、ひたすら頑張り続けたようです。
miho
それと、『納得させるまでやらせる』母も素晴らしいと思います。紀平梨花のご両親は、小さい頃から『興味をしるしたものは存分に集中させる』という方針だったようですね。
紀平梨花、幼少期でのスケートでは年間2万km超えの送り迎え
5歳の冬。紀平梨花はスケートの短期教室に通い始めます。回数を重ねるたびにどんどん上達していったようですね。ただ、この教室は3月でリンクがしまったため、『通年行っているスケート教室』へと移ったのです。
どんどん上達していった紀平梨花。小学1年の1月から個人レッスンを受け始め、土日は最低6時間 、平日も2時間の練習をこなしていたようです。毎日の送り迎え、練習への付添、ご両親は大変だったのではないかと想像がつきますよね。
この頃のことをご両親はサンスポのインタビューでこう答えていらっしゃいます。
選手にしようと言う思いは全くなかった。楽しいからやるという感じ。お稽古事のひとつという感じでした。
miho
この時、母、実香さんは每日3時までには起床し、家族のご飯を用意していたようです。そして5時にはスクールへ送り、朝練。その後学校が始まるまでに戻り、放課後またリンクへ。同じ母として頭が下がります。凄い。それも、西宮市からスケートリンクのある高槻市まで。距離にして片道約35.2kmです。相当な距離ですよね。
miho
この距離、東京で表してみると渋谷区から神奈川県民ホールまでが似たような距離ですね。
紀平梨花さんだけでなく、成功した人からよく聞く『両親の手厚いサポート』。ツイッターの書き込みでもあるように大事なのかもしれませんね。
将棋の藤井聡太九段も、今回、グランプリファイナルを制した紀平梨花選手も、幼少期からの話を聞いてみると、「自主性・主体性を重んじる教育」「両親の手厚いサポート」が共通してる。
10代半ばくらいで、成熟したメンタリティと功績を得るには、教育と援助が大事なことがよく分かる。— 高山カズマ❇️ (@orizururans) December 11, 2018
習い事はこの他にも、クラシックバレイや体操、ピアノなど8つも習っていたようです。やりたいことはやらせるという環境で育ったからこそ、紀平梨花の才能は開花したんでしょうね。
紀平梨花の幼少期!親はスケートのために自宅売却や転職も
紀平梨花の幼少期はとにかく家族ぐるみでスケート中心!そのエピソードをまとめました。
スケートの送り迎えのために仕事を転職⁉︎
西宮市から高槻市までの每日の送り迎えをこなしていた母。実は、フルタイムで働いていた事務職をやめ、時間の都合の付きやすい販売員に転職したようです。これもスケートのことを最優先に考えた親の愛情。
スクールが遠くなるという理由で持ち家売却⁈
紀平梨花が幼少期から集中して取り組んできたスケート。中学へ上がるタイミングでなんとご両親は自宅売却を決意するのです。その理由は『スクールが遠くなるから』。驚きの事実ですよね。子供に対する最高の愛情表現ではないでしょうか。
この頃になるとご両親も『オリンピックに出てほしい』『4回転飛べるようになってほしい』という思いが強くなってきたようですね。その思いの本気度が自宅売却に現れていますよね。
中途半端は許さない厳しさ
紀平梨花は中学生になると、休日の練習へは手作り弁当を持っていくように。これは母との約束。疲れていて『明日は作ってほしい』と頼んだ事もあったようですが、母はピシッと突っぱねたようです。『自分で決めたことは責任をもって続けなさい』と。
弁当箱を洗わずに置きっぱなしにしてしまった時には『自分でやると言ったのに、中途半端なことをするな!』と厳しく叱り、それ以降置きっぱなしにはしていないようですよ。
また、母はリンクへも顔を出し、『やる気がないなら、やらんでええ!』と喝を入れることもあるとか。
本人だけでなくご両親の覚悟というのも大きかったんですね。
更に活躍し、ご両親の愛に答えてもらいたいですね。
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